【2026年1月26日】
東海道五十三呑み次の14日目です。今日は舞阪宿のちょい先の弁天島から歩き始めます。
弁天島
部屋からの眺めです。昨日撮影した鳥居と、浜名大橋が望めます。

今日は、昨夜貸し切りで宿泊した開春楼からスタートです。

舞阪から新居までまっすぐな道路ですが、結構交通量は多いです。

弁天島にはホテルだけではなく、リゾート(?)マンションと思われる建物もありました。

新居宿までまっすぐな道が続きます。周りに遮るものがないので、早朝の寒風が吹きつけてきます。
新居宿
新居宿の浮世絵は、舞阪と同じく今切れの渡しが描かれています。舞阪から新居(浮世絵では荒井)に向けて、2艘の渡し舟が描かれています。
浮世絵「荒井 渡舟ノ図」

現在は島と橋でつながっていて、新居宿の入口はこのような感じです。

新居宿には、浮世絵の右上にも描かれている新居関所が残されています。1854年の大地震の後1858年に再建されたものですが、江戸時代のものが現在でも残っている唯一の関所です。新居関所は箱根関所と並ぶ厳しい関所で、出女だけではなく入り女も改められたことから、ここを迂回する道が姫街道と名付けられたほどです。
新居宿にはいろいろ見どころが残されているようで、楽しみです。

歩き始めてから1時間ほどで、予定通り関所の開館時刻過ぎに到着しました。


ですがまさかの「休館日」。月曜日は休館日なのでした。ショック。

向かいにある旅籠の紀伊国屋も「休館中」で入れませんでした。

ここで嫌な予感がしたのですが、これが見事に的中し、この後「月曜休館ラッシュ」に巻き込まれることになります。
とはいえ落ち込んでいても仕方がありません。
「さあ、お酒を探そう」。
とはいえ朝から飲める店が開いているはずはなく、コンビニも近くにはありません。ですが運よくスーパーが開いていましたので、静岡名物の緑茶割りを頂きました。

新居宿の西方出口にはクランク状の道が残っていました。「桝形」などと呼ばれることが多いですが、ここでは「棒鼻」と呼ぶそうです。


白須賀宿
新居宿から白須賀宿への道は、JR東海道線から離れた海沿いの道です(JRが東海道から離れたと言う方が正しいですが)。車は少なく松並木も残っていて、歩いていて気持ちの良い道です。

白須賀宿は、元はこの海沿いにあったのですが、津波の被害に見舞われたことから、坂を上がった高台に移されました。

その坂は潮見坂で、右奥に見えるとおりかなりの激坂でした。

坂を上りきると、白須賀宿を紹介しているおんやど白須賀があります。が、ここも月曜は休館日でした。

おんやど白須賀の少し先に、潮見坂公園があります。ここは古くからの名所のようで、徳川家康が織田信長を接待したり、明治天皇が休憩されたりしたそうです。


浮世絵でも、ここから遠州灘を望む風景が描かれています。
浮世絵「白須賀 汐見阪図」

現在でも、同じような景色を望むことができます。

潮見坂上から高台をしばらく歩くと、道がクランクになっていました。ここが白須賀宿の入口の痕跡ですね。新居宿の出口は「棒鼻」でしたが、ここは「曲尺手(かなんて)」と呼ばれたようです。


白須賀宿には江戸時代をしのぶことができる建物は残されていませんでした。本陣跡にはこのように案内板が立てられていますが、そこには立派な邸宅が建っていました。本陣跡の向かいは農協でした。いかにも町(村?)の中心という感じ。

道幅はこんな感じで東海道っぽいです。

左手に見える木は、火事を食い止めるための火防樹だそうです。白須賀宿は高台に移転したことで津波の心配はなくなりましたが、冬季に西風が強く火災になることが多かったとのことで、それを防ぐために植えられたそうです。確かに私が歩いた日も西風が強く、寒い中向かい風との戦いを強いられました。

白須賀宿を抜けると、遠江国(静岡県)から三河国(愛知県)に入ります。

国境には境川が流れています。大河ではなくこのような小さな川でした。

振り返るとこんな感じ。

国をまたいでしまいましたが、まだ白須賀宿で「さあ、お酒を探そう」をしていませんでした。忘れていたわけではなく、飲み屋はおろかコンビニも酒屋もなかったのです。この少し先で国道1号線と合流したところにあるコンビニでお酒を調達です。とても寒かったので、ウイスキー(ジムビーム)にしました。極上黒豚まんをほおばりながら暖をとることにします。

次の宿場を目指して東海道を歩き続けます。この区間は国道1号線で、ご覧のように道路の道幅は広く、大型トラックも頻繁に通り、江戸時代の東海道の風情は全くありません。

二川宿
ウイスキーを飲みながら、向かい風の西風に耐えて歩き続けると、国道1号線から旧東海道が分かれました。

その先が二川宿です。ここは国道1号線から離れていて、旧街道宿場町の風情が残っています。

宿場の入口にある川口屋。現在は案内所になっていますが、今日は定休日。

立派な本陣跡が復元されて公開されていますが、今日は定休日。

二川宿の浮世絵は、立場にあった「名物かしは餅」の茶屋が描かれています。
浮世絵「二川 猿ヶ馬場」

現在の立場跡には茶屋は残っていませんが、宿場の西側にクランク(桝形)は残っていました。

既にお昼を過ぎてしまいました。「さあ、お酒を探そう」。
旅のお供Google Mapでお蕎麦屋さん「三遠そば処 雪斎」を見つけました。
www.soba-sessai.jp

蕎麦前にお酒と板わさを頂きます。お酒は地元愛知のお酒「二兎」をチョイスしました。

おなかを落ち着けた後、かけそばを頂きました。

遅めの昼食を終え、東海道歩きを再開します。今日は帰る日なので、新幹線が止まる豊橋駅まで歩かなければいけません。
二川宿からの道は下の写真のように歩道が狭く、車も多くてストレスが溜まります。

狭めの道の次は、国道1号線に合流です。

ここには、飯村一里塚跡の碑がありました。一里塚はなく、電信柱しかありませんけど。

国道1号線は広いです。その分歩道も広いので、危険はありませんが、風情もありません。

吉田宿
やっと吉田宿(豊橋)が近づいてきました。広い道に路面電車が通っています。

立派な秋葉山の灯篭もあります。

この交差点には、吉田城の東惣門のミニチュアがあります。


吉田宿の東海道は、城下町の例にもれず吉田城を迂回するように通っています。ここ東惣門から本陣跡、西惣門と進み、今日は東海道とはそこで分かれ、吉田神社経由で吉田城に向かいます。

本陣跡には案内柱があり、現在はうなぎ屋さんになっていました。

西惣門のミニチュア。

豊川のほとりに出ます。東海道が通っている豊橋が見えます。

逆方向の吉田城に向かいます。吉田神社は手筒花火発祥之地だそうです。

吉田城の敷地内には、豊橋市役所や豊橋市公会堂があります。


吉田城には天守閣は残っていませんが、櫓(鉄櫓)は残っており公開されています。定休日でしたが。

吉田宿の浮世絵は、吉田城の櫓と吉田大橋が描かれています。
浮世絵「吉田 豊川ノ橋」

現在の眺めはこんな感じです。

「さあ、お酒を探そう」。
の時間ですが、帰りの新幹線の時刻を調べたところ、吉田城から路面電車に乗って豊橋駅に着くのがひかり号出発の約10分前。これを逃すと30分後のこだま号になり、乗車時間も倍近くなってしまうので、駅のキオスクでエビスとおつまみのチーかまを買って、新幹線の車内でいただきました。
うなぎパイは家族へのお土産です。

今日の舞阪宿から吉田宿までの旅は、見所がとても多かったのに、月曜日のためどこも休館日だったのは残念でした。この区間はいつか再訪したいと思います。
次に有休をとって旅に出るときは、土日月ではなく金土日にしよう。
- 舞阪宿~新居宿 5.8km
- 新居宿~白須賀宿 7.8km
- 白須賀宿~二川宿 7.4km
- 二川宿~吉田宿 7.6km
次回は、吉田宿から歩きますが、時期と区間は未定です。
吉田宿から先は、JR東海道線と離れた道なので計画は綿密に検討する必要があります。とはいえ名鉄沿いなので、行き倒れにはならないはず。
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【今回の歩行ルート】
【前回の記事はこちら】
whiskydiary.hatenablog.com